あるキャプテンの想い出
校長 永井康博
2学期が始まりました。夏休みが終わる頃には新型コロナの感染が少しは収まるかな?などと、淡い期待を抱いていましたが、収まるどころか最悪の状態で新学期を迎えることになってしまいました。
生徒のみなさんは、学校のルールに従い、校内での感染防止に努めてください。また、保護者の皆様も、家庭内での感染に十分お気を付けください。もし、新型コロナに関することで何かありましたら、以前お願いしている方法で、必ず学校に連絡をお願いします。
ところで、済美高校は来年、男女共学20周年を迎えます。共学と同時に創部された野球部の活躍は、みなさんもよくご存じのことと思います。甲子園大会に春夏合わせて8回出場し、春は優勝・準優勝各1回。夏は準優勝1回など、素晴らしい成績を残しています。私は、応援生徒を引率し、全試合をアルプススタンドで観戦しています。計28試合、それぞれに想い出がありますが、今回は、3年前の夏の大会でベスト4まで勝ち進んだチームのキャプテン池内君を紹介します。池内君は、チームメイトからの人望もあり、部長・監督の信頼も厚い頼もしいキャプテンでした。
高校野球では、試合終了後、勝利したチームがホームベース上で整列して校歌を歌い、その後、応援席(甲子園ではアルプススタンド)の前に来るようになっています。選手たちは、1秒でも早く応援席前に向かいたいのが当然ですが、池内君は、一呼吸置いて、相手側ベンチに一礼した後、少し遅れて来ていました。県大会から見ていた光景ですが、甲子園の球史に残る試合となった第百回記念大会2回戦、石川県星稜高校戦。延長13回裏に矢野君の逆転サヨナラ満塁ホームラン(大会史上初)で勝利した後の彼の姿は、特に印象的でした。というのは、いつもにも増して深々と頭を下げる彼の姿から、つい数分前まで戦っていた相手校に対する敬意が感じ取られたからです。劇的な幕切れとなった直後で、満員の甲子園球場全体が「興奮のるつぼ」と化している中で、彼が一番冷静でした。済美高校を卒業した後、東京の大学に進学し、学業と野球を両立している池内君。来年度は、教育実習生として母校に帰ってくると聞いています。さらに成長した彼に会えることを、今から楽しみにしています。